2006年05月22日(月) 「だれでもわたしについて来「だれでもわたしについて来自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」マタイ16:24
「だれでもわたしについて来「だれでもわたしについて来自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」マタイ16:24
星野富弘さんは、脊椎損傷の ため、首から下は動かず、 絶望の中にいたが、聖書に触 れ、救いに入れられた。 人生が一変し、口は動くと、 絵筆を口にくわえて、花の絵 を描いた。この絵と詩が人の 心を捕らえ、深い感動を与え ている。多くの傷ついた人々 の心を癒し、温めているのだ。 数知れない人々のために用い られている。彼は神を信じた からと言って、奇跡的癒しが あったわけではない。状況は 何も変わらない。神を信じて も良くならないのか。 いや、そうではなく、むしろ、 彼が不自由な身体というみこ ころをしっかり受け入れ、そ の中で生きているからこそ、 人々を励まし、力づけ、引き 上げて行く事が出来るのだ。 十字架を負い、みこころを受 け入れて生きるなら、それは 証しとなり、誰かの心を捕ら える。どんな状況であれ、受 け入れて、神に従って歩もう。 神の栄光を現して行くことに なる。 ------------------- 自分の十字架をしっかり受け 止めているだろうか。主が与 えて下さったのだ。必ず栄光 へと変えてくださる。今週も よく見極めて主と共に歩もう。