2006年08月23日(水)

「主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むことではないか」ミカ6:8

私達にこんな心がないだろうか。神が自分
の願いを叶えてくれ、自分の思い通りに動
いてくれるなら、納得するのに。しかし、
それなら、神がどんなに大きな事をして下
さっても、それが自分の思い通りでないな
ら、納得する事は決してない。なぜなら、
自分が中心だからだ。自分が中心に回って
いる時は、自分の強い思いだけが見えて、
神が見えない。神は、人に幸福を与えるた
めの手段ではない。願いを叶えてくれる手
段ではない。この世の偶像は、自分のため
の手段だ。あくまでも自分が中心で、自分
が幸せを得るための、願望が叶えられるた
めの信心だ。しかし、神は違う。何かを得
られるから、叶えられるからではなく、そ
れ以前に、神が神であられるから、信じ従
うのだ。信仰とは単に苦しみからの救いで
なく、又、商売繁盛、家内安全、交通安全
のご利益を得るためでなく、信仰とは、苦
しみの時も、喜びの時も、悲しみの時も、
どんな時も、神を信じ、神との交わりの中
で生きて行く事だ。どんな時も、神と共に
歩めることが幸せなのだ。
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自分の目が曇ると、目におおいがかかると
全く神が見えなくなる。神でなく、自分の
目の問題だ。目が健全なら全身が明るいが、
目が悪いと全身が暗い。今、自分の目はど
うか、焦点それていないか点検しよう。全身
が輝くために。