2006年10月23日(月)

 「あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか」Tコリント3:3



クリスチャンにも皆、肉の部
分がある。誰しも持つものが
妬みだ。自分に無いものを、
又、自分が喉から手が出るほ
ど欲しいものを持っている相
手を羨む。しかし、心の底に
ある妬みを認めたくないため
に、相手の欠点をあげつらい、
自分が快くない思いを持つの
は相手が悪いせいと、自分を
正当化する。人を批判し、難
くせをつける、その動機の多
くは隠れた「妬み」だ。人が
誉められると、自分がけなさ
れたように感じ、やっかむ。
自分の中の自分で認めたくな
い心にはふたをし、押し込め
る事が出来る。それゆえ自分
で妬みに全く気づいて無い場
合もある。心にザラッとした
ものを感じる時には要注意だ。
心に何かある証拠だ。底にあ
る妬みは、何かの理由で正当
化して相手への攻撃となり、
争いとなって行く。御霊の光
のみが底にあるものを照らし
出し、気づきを与えてくれる。
光に出されたものは祈れる。
祈るならば、問題解決へと導
かれる。
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自分の認められない罪を示さ
れる事は神様の憐みだ。よく
祈って光に一つ一つ出してい
ただこう。謝らなければなら
ないこと、受け入れなければ
ならないこと、神様が気づか
せて下さり、次々と重荷を下
ろしていって下さる。