2006年12月23日(土)

「見よ。東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった」マタイ2:9

博士達はその星を見、星を頼りにエルサ
レムまでやって来た。砂漠や荒野を通り、
時間と労力、財をかけ、危険を覚悟で、莫
大な犠牲を払っての旅だ。命の危険もあ
った。エルサレムはさぞやお祭り騒ぎと
思いきや、へロデはメシア誕生に恐れを
なし、人々も迷惑げであった。へロデは
「わかったら教えて欲しい、私も拝むか
ら」と彼らを、ベツレヘムへ送り出す。
実は「殺すから」だ。その進路を星が明
確に先導し幼子の所で止まった。博士達
は喜びに満ち、幼子を礼拝し大切な最高
の宝を献げた。ただメシアを礼拝をする
ために命の危険を冒して莫大な財を費や
してやって来た。礼拝し満ち足りて帰った。
私達の礼拝の態度はどうだろう。神を
礼拝するという事を今一度よく考えよう。
博士達は、ただ一心に星に導かれて、
たどりついたのが幼子だった。だから
家畜小屋や飼い葉桶も何の問題も無かった。
確かな星に導かれ行き着いた先だった
からだ。自分の思いと判断でメシアを探し
たなら、全く違う方向に必ずや間違っただ
ろう。この導きの星は聖霊だ。私達も聖
霊が日々の信仰生活を導いて下さる。
導かれる先に従おう。そこに御心がある。
・・・・・・・・・・
博士達はすべてを献げ、人生を献げて命
を賭して救い主を求めてやって来た。自分
はどれ位求めているのだろう。それを妨げ
ているのは何だろう。彼らは求めが答えら
れ幼子を見い出し「この上もなく喜んだ」