2007年02月19日(月)

「イエスは・・彼に言われた『よくなりたいか』」ヨハネ5:6





その男性は38年間もの長い間、
伏せっていた。38年は長い。
毎日毎日同じように伏せっている
わけで、その状態が当り前になっ
てしまうと、問題意識を感じなく
なってしまう。主の言葉は「よく
なりたいか」だ。という事は、よ
くない状態という事だ。よくなる
ためには、今の状態が病気だとは
っきり認識する必要がある。でな
ければ、良くなりたいとは思わな
い。私達も同様だ。このままでは
いけない、このままでよいはずが
ない、このままでいたくないと思
った時に初めて、真剣に神を求め
たのではないか。自らの破れた現
実を真正面から見ない限り、神を
求める事はない。自己満足にある
時は、決して神を求めない。主は
まずはっきりと病気である事を認
識させられた。自らの破れた状態
をはっきりと見る事ができるのは、
主からであり、それは大きな恵み
だ。そして、良くなる事が「でき
る」か、でなく、よくなり「たい」
かと問われた。力は求めておられ
ない、しかし、願いを確かめられ
る。自らに願いが無い限り、不可
能だ。あなたはどうだろう。罪に
打ち勝てず、諦めている部分があ
るだろうか。何度やってもだめで、
これからもどうせだめだろう。
しかし、主はそこに目を留め「よ
くなりたいか」と御声をかけて下
さっている。「よくしてあげよう」
と言って下さっている事だ。主に
答えよう。
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よくならないほうが都合がよいの
ではないか。人のせいにしてすね
たまま、ずっと被害者の方が楽か
もしれないがいつもでたっても闇
の中だ。主の呼びかけに答えよう。
主が癒して下さる。