2007年08月23日(木)

「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」マタイ6:34



心配症の人はよくわかるだろうが、
不安が来ると、もう際限がなくな
る。次から次と不安が不安を呼び、
真っ暗な中に沈み込んで行く。自
分で勝手に最悪のシナリオを結末
まで作り上げて、自分で落ち込ん
で行く。それは、その通りになっ
たためしが無いが。しかし、湧き
上がって来る思い煩いがどうにも
ならない。主はまだ起こっていな
い事の心配は無用だと言われる。
明日のことは、明日に任せよと。
「今」の事だけを考えよと。
「今」は何の心配もなく、平安に
過ごせているではないか。とにか
く「今」は身体も支えられ、すべ
ての必要も満たされ、あらゆる面
で守られているではないか。今、
この瞬間、心からの感謝を献げて
生きることだ。明日は神が心配し
ていて下さる。信仰を献げて、明
日の事はきっぱり委ねるのだ。そ
の信仰を神は喜んで下さる。そし
て、その信頼に応えて、神は明日
も必ず、今日と同じように、すべ
ての必要を満たして下さる。毎日、
毎日、明日のための心配は無用だ
と言って下さっている。つまり、
それは一生心配は無用だという事
だ。いっさい、何の心配も必要の
ない人生に召されているという事
だ。「今」を感謝して、明日はき
っぱりお任せしよう。
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今に感謝しよう。今感謝できたな
ら前向きな明日につながって行く。
まだ来ない明日への心配は不信仰
だ。最善の計画を持って臨んで下
さる神様をいつも見上げていよう。