2007年11月22日(木)

「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ」イザヤ66:2



求めるなら与えられ、捜す
なら見つ出す。そして、祈
り続ける事を勧められてい
る。しかし、時に祈っても
祈っても、幾ら祈っても、
目の前の苦しい状況が変わ
らない事がある。この時に
サタンの試みが来る。段々
気持ちが萎えて来る。祈り
に倦み疲れて来る。「聞か
れてないのでは?」との疑
いが来る。本当に御言葉の
言う通りなのか?信じてい
て、大丈夫なのか?何も変
わらないではないか。愛さ
れていないのでは?何かの
罪で赦されていないのでは
?祈りは無駄なのでは?と
の声が聞こえて来る。その
声に聞いて行くと、どんど
ん落ち込んで行く。なぜ、
サタンに聞いて引き込まれ
て行ってしまうのか。それ
は、神の言葉を信じないか
らだ。目に見える状況の方
を信じてしまい、御言葉を
捨ててしまう。つまりは、
自分が決める。自分が状況
を見て、御言葉の濃度を決
める。状況が良いと、御言
葉を受け入れ、状況が悪い
と、御言葉を薄めたり、捨
てたりする。御言葉の下に
でなく、自分が御言葉に上
にいる。どんな中でも「愛
されている・ご計画がある
・益となる・最善をされる
・無駄は一つもない」と信
じる事が、御言葉の下に自
分を置き、神の言葉として
受け止める事だ。サタンは
退かざるを得ず、しんどい
状況の中にあっても、御霊
の平安を経験する。
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辛い状況が続く時、約束の
御言葉にしっかりと立って
いなければサタンの思うが
ままにしおれてしまう。前
から来るものはすべて神様
からのものと御手の下に安
んじていよう。