2007年12月23日(日)

「すべての懲らしめは・・悲しく思われるものですが・・訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:11

愛とは、暖かさ優しさと同時に、
厳しさがある。親は子供を愛して
いるからこそ、正しくしつける。子
供が要求するからと、何でもかんで
も子供の意のままに与えはしない。
子供にとっての益を考える。神はそ
の愛する者を懲らしめ、訓練される
と、はっきり言われている。訓練と
は心地良いものではない。楽で快適
なら訓練になどならない。訓練とは
心身圧迫され、厳しく辛いものだ。
どこが神の愛と思えるほどのものだ。
好き勝手、気ままにしたい自我が、
厳しい訓練を受けて初めて、自制、
柔和、従順に変えられる。懲らしめ
は、決して喜びではなく、痛く悲し
いものだ。厳しく苦しい、辛い、悲
しい所を通ってこそ「平安な義の実」、
真実な平安を知る。そして、痛い、
苦しい試練の中で、初めて御言葉の
意味を知る。御言葉が命であり、力
であり慰めだ。御言葉そのものが食
べ物だ。御言葉によって生きる。こ
れは苦しみの中でしか経験できない。
荒野で「苦しみ、飢えさせ、マナを
食べさせられた。人は主の口から出
るすべてのもので生きる」事を体得
させるためだ。それは真の「平安」
に至る。これ以上無い苦しみ悲しみ
の中で、本当の平安、本当の喜びを
知って行く。神の愛だ。
・・・・・・・・・
訓練の中で神の愛の厳しさを知る。
愛とは厳しいものだと思う。しかし、
砕かれ、造り変えられる。本当に感謝
しかない。訓練が無ければ人間ですら
もあり得ないと感じる。