2008年01月23日(水)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです・・主の御霊のあるところには自由があります」Uコリント3:17

私達は周囲に「反応」して生きている
だろうか。寒暖計のように、相手が優
しく親切であれば、こちらも優しくな
り、相手が冷ややかであれば、こちら
も冷たく対応し、相手が怒りをぶつけ
て来ると、怒りで返す。相手の状態に
正比例して反応してしまう。これなら
自分の態度は相手次第になり、自分が
まるで無い事になる。そして、自分が
怒るのは、相手が怒るからであり、怒
る相手が悪いとなる。すべて人のせい、
環境のせいにして生きて行く。信仰は
真逆だ。反応は人依存だ。反応するの
でなく、あくまでも自分で責任を持っ
て行動する。相手が冷ややかであって
も反応して温度を下げるのでなく、温
度を上げて、親切な態度を「行動」し
て行く。依存ではなく自立だ。主に向
き、御霊に従って行く時、自立した歩
みができる。人がどうであれ、御心を
行って行く。何があっても、人のせい
にせず、環境のせいにせず、どこまで
も神を信じて生きて行く。周囲のせい
にするなら、そこにあるのは不平不満、
愚痴だけだ。喜びも平安も無い。他の
せいにするのを止めると、どうだろう。
不平不満の向かう先がないので止む。
そして神に向くなら、神は常に最善を
して下さっているお方だ。それを信じ
て行く時、何と心が変えられる事だろ
う。人依存の屈折した生き方から自由
にされる。あなたが反応してるのは、
状況と人か、それとも神だろうか。
・・・・・・・・・・・
御霊の下さる「気づき」から成長は始
まる。自分の状態は寒暖計だろうか。
主は反応されずに常に行動された。そ
の主が、今日も内に生きて下さってい
る。主に依存する時、自由にされる。