2008年05月23日(金)

「あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして・・全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい」創世記22:2

時々、自らの弱さ、足らなさゆ
えに起こした問題を、信仰ゆえ
の迫害と大騒ぎする。が、それ
は信仰以前の問題だ。信仰は関
係なく、自分の未熟さゆえの失
敗だ。又、試練、試練と言うが、
試練などでなく、自分の愚かさ
ゆえに招いた痛みもある。アブ
ラハムも「非常に悩んだ」事態
が出て来る。イサクの誕生を信
仰によって待てないで、肉の思
いと行動で、女奴隷ハガルによ
ってイシマエルを得た。しかし、
後にイサクを与えられたが、サ
ラからハガルとイシマエルを追
い出すよう要請された。イシマ
エルも自分の子供なので、非常
な悩みとなった。その時に、神
が御声をかけて下さり、神の言
われる通りに解決すべく、翌朝
早くハガルとイシマエルを出し
た。次には、約束の子であるイ
サクを全焼のいけにえとして献
げるように言われた。これはハ
ガルの場合と違った。自らが起
こした肉の行ないの刈り取りで
はなかった。「神はアブラハムを
試練に会わせられた」神から来
た「試練」であった。彼は「翌朝
早く」従った。彼はこの事がはっ
きりと神から来ていること、神の
明確な示しである事がわかって
いた。彼にとっては自分の命より
大事なものだったろう。「力とする
もの、栄えに満ちた喜び、愛す
るもの、心に慕うもの」エゼ24
:25だったろう。彼は従った。
神はイサクを彼にとって正し位
置に返された。私たちにも神以
上に愛するものがないか。明け
渡す時、正しい位置に置いて
下さる。
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日々神様を仰ぎ、尊く思ってい
ても神様以上に愛する物がない
と言えるだろうか。神様を恐れ
ながら、あれもこれもと優先順
位はごちゃごちゃだ。正しい位
置に返そう。