2008年11月22日(土)

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」イザヤ43:3

この世は、悪口や悪意による噂話でいっぱいだ。職場や学校で近隣で、しょっ中
でくわすだろう。あるクリスチャンが、子供の学校の役員会で、母親たちの悪口
三昧に驚いた。

ここにいない人たちの事を、あれこれ言うのはフェアでないと言ったが最後、次
の役員会には全員からの無視に会った。

「陰口をたたく者のことばは、おいしい食べ物のようだ。腹の奥に下っていく」
と箴言にあるごとく、罪の性質には悪口は美味しい蜜の味だ。

悪口を言うのは、その人の評価を下げて、自分が安心するためだ。クリスチャン
になるとさすが罪意識があり、決して口に出しては言わないが、嫌いな相手の話
題が出たりすると、心の中 でしっかり同意し、肉を満足させていたりする。

悪口を心の中で言うその底に、相手への隠れた羨望や妬みがあったりする。相手
を妬んでいるので、引き下げたい。その羨望や妬みは比較から来る。

しかし、神に向き、神の自らへの深い愛や顧みを知り、どんなに大切に思われ慈
しまれているかを知る時、人を引き下げる必要がない。比較の必要が無い。まず、
自分の弱さをいっさい隠さず、あるがまま神の御前に認めて行くことだ。

その時初めて、あるがままの自分を受け入れ、尊び、極みまで愛して下さってい
る主の愛を実感として知る。その時、心に喜びが来る。

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比較は人の常、肉の性質、サタンの誘惑だ。比較からあらゆる問題が派生する。
劣等感と優越感、妬み、悪意。比較したくないがしてしまう、そのままを、まず
主に告白しよう。あるがままの心を告げよう。その時、不思議に平安が臨む。