2025年11月07日(金)

「彼らはそれを受け取ると、主人に文句をつけて・・最後の連中は 一時間しか働かなかったのに、あなたは私たちと同じにしました ・・一日中、労苦と焼けるような暑さを辛抱したのです」 マタイ20:11



一人暮らしの熟年女性が、クリスマスで華やかににぎわい、街がキ
ラキラし出すと、寂しくてたまらなくなった。特に家族団らんが溢
れる、年末年始はとても孤独に感じた。周囲の楽しげな様子を見て
は、主は不公平だと不満が募った。主に、思いをぶつけていた時に、
ぶどう園の箇所で気づかされた。

早朝からの労務者は、契約賃金で満足だった。一日の労働を終える
なら、相当な糧を得て帰宅できる。妻子の喜ぶ顔を思い、励みとな
った。日当が保障され、何と有難い事だろう。だが隣と比較した途
端、満足が消えて、不満と怒りで一杯になった。もし比較が無けれ
ば、自分の報酬に満足できた。彼女は、状況ではなく、自分の心の
態度の問題だと気づいた。

人との比較でなく、また自分が描く理想との比較でもなく、あるが
ままの自分を認め、上を仰ぎ、主に従って行くなら、来る日も〃平
安で、幸せでおれるのではないかと。比較を止めて、主と自分の関
係の中で、歩む事が救いなのでは。主に出会う前は、自分を量るの
に、人との差異で量って来た。それしか量るすべが無かった。

人より出来たら安心し、出来なかったら不安になり、その間をいつ
もグルグル行ったり来たり。人が基準だ。比較は、誰しもに根深く
培われている、世の価値観だ。主は、少しづつ〃変えて下さる。ま
ず比較に気づく事から始まる。気づけた時に感謝しよう。御霊の気
づきだ。それが積み重ねられて行き、自由にして行って下さる。
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最後に来た者から賃金が支払われたのはなぜだろう。人との比較で
簡単に平安が失われていく。主を仰ごう。最後の者で、弱く小さな
者だが、主はたくさんの愛を注いでくださる。感謝だ。