2025年11月10日(月)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道3:11 


                          
私たちの人生に、順境だけでなく、逆境だけでもない。必ず順境と
逆境がある。そのどちらも、神がなさることだ。この世は、順境だ
けが欲しい。そのため家内安全、商売繁盛と、パンパンと柏手を打ち、
拝む。私たちもどうだろう。順境が善で、逆境が惡との思いが無い
だろうか。しかし逆境も、神のなさる事であり、神から来ている。

順境が祝福で、逆境は祝福されていない、との思いが無いだろうか。
受験合格は祝福で、不合格は祝福されていないと。そのため、寂し
く感じる。しかし逆境の時は、むしろ沢山の霊的学びを得て、成長
へと導かれる。よく人は、人生で一番苦しかった時が、一番神に近
かったと言う。順境も逆境も、神のなさる事なら、無意味なものは
一つも無い。

そして、「後の事をわからせない」とあり、主は、先の事を伏せて
おられる。何月何日に病気になる、倒産する等、将来の事は告げら
れない。私たちに、先の事はいっさいわからない。明日の事もわか
らない。それは主に信頼させるためだ。一足一足主への信頼を、学
ばせられるためだ。先が見えたなら信仰は必要ない。見えない中で、
主を信頼する事が信仰だ。

逆境では、問題を早く解決したい、とにかく早く、早く、苦しみが
終わって欲しい、そんな思いで一杯になる。その背後にある、主の
み思いに、なかなか思いが行かない。しかし今、もし逆境にあれば、
主がなさった事であり、主のみ思いに、心を向けよう。教えて下さ
いと祈ろう。御心を悟れるよう祈ろう。それこそが祝福だ。
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突然の問題を前に、どうして!祈っていたのにと力を落としてしま
う経験をする。すぐに逆境を祝福と思えない不信仰があるが、全て
は、主を通しってやって来ると信仰に立ちたい。必ず学びがある。