2026年02月19日(木)

「彼を外に連れ出して仰せられた。『さあ、天を見上げなさい。 星を数えることができるなら、それを数えなさい』さらに仰せ られた。『あなたの子孫はこのようになる』」創世記15:5



アブラハムはどんな状況の中で、神を信じたのだろうか。75才で主
の召しに従い、カナンに移り住んだ。原住民との闘いの日々だった。
子どもができず、しもべエリエゼルを、相続人にと考えていた。そ
んな時に、神はアブラハムを外に連れ出し、満天の星を見せられた。
そして子孫が、このようになると約束された。

その時、彼は神の約束を信じた。現に子どもはおらず、まだ何も見
ておらず、常識では、到底受け入れ難い事だった。しかし、アブラ
ハムは神ご自身を信じた。状況でなく、見える所でなく、神ご自身
の方を信頼した。「彼は望みえないときに望みを抱いて信じた」。

望み得ない時に、望みを抱くからこそ、信仰だ。目に見えないから、
信仰であって、目に見えたなら、信仰は必要ない。それは全く目に
見えない。人間的な実感など何もない。状況を頼り、状況を幾ら見
ても信仰など起きて来ない。状況からの、目に見える結論は「不可
能、絶対にあり得ない」だ。どこから信仰が来るのか。

望み得ない状況から、いかに望みが湧き上がるのか。それは約束の
言葉だ。神が語られた約束の言葉を、そのまま受け取り、受け入れ
る時、「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」と。信
じる私たちも、アブラハムと同じ祝福を受ける。彼が100才の時に約
束の言葉が成就した。神は必ず約束を実現される。状況でなく、神
の言葉を見続けていよう。
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神に与えられた多くの約束がある。御約束に生きよう。御約束を信
じ確信するとき、はじめて平安が来る。望みえない時に待ち望める信
仰を求めたい。