2025年11月09日(日)

「彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。『風や湖ま でが言うことをきくとは、いったいこの方はどいういう方なの だろう』」マルコ4:41



主が「向こう岸へ渡ろう」と言われた。弟子たちは、主の言
葉に従い、舟に乗ると、途上で大嵐に会った。大変な嵐で、
このままなら転覆だ。普段、嵐も経験しているプロ漁師が
「溺れて死にそう」との恐怖だった。しかし主は、と見ると熟
睡しておられる。弟子たちは、死にそうな状況に、大パニッ
クだ。しかし主は、嵐を、ひと言葉でしずめられ、「信仰がな
いのは、どうしたことです」と言われた。

嵐が問題なのではなく、不信仰の問題だと。どう考えても、
主が同船の舟が、沈むはずがない。100%有り得ない。沈
む事の方が不可能だ。しかし、気が動転した弟子たちは、
主は飛んでしまっていた。私たちの姿だろうか。突如の事
態が起きた時に、主が飛んで、もう恐れと不安しかなく、頭は、
混乱状態だ。

だが主は、死にそうな大嵐の中で、熟睡しておられた。「向
こう岸へ渡る」事が御心なので、その御言葉は100%成就
する。天地がひっくり返っても、何がどうなっても、向こう岸
へ渡れるのだ。主は全き平安の中におられた。私たちもパ
ニックになると、主が飛んでしまい、全部が自分の肩にかか
るので、負いきれない。その結果、不安と恐怖でしかなくなる。

しかし、この経験を通して、弟子たちは、初めて、主が自然
界をも支配されている事を、目の当たりに見た。どんなに驚
いた事だろう。私たちも不信仰で、失敗してしまうが、主は、
尚も、あわれみ深く、一つ〃を益として、更に教え導いて行っ
て下さる。

・・・・・・・・・・・・・・・・
嵐を見ていると、不安しかない。思い煩いでいっぱいだ。し
かし、主を仰ぐと、御言葉が臨む。「何も思い煩うな」「重荷
を主にゆだねよ」「祈れ」。主に目を向ける時に、不思議に
心が落ち着いて来る。