2026年05月03日(日)

「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、 愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あな たにとってはなおさらのこと・・」ピレモン16



「ピレモンへの手紙」は、ローマで獄中にいたパウロが、ピ
レモンに宛てた書簡だ。主人ピレモンの奴隷であった、オ
ネシモが主人のもとで盗みを働いて逃亡した。ローマまで
逃げたが、捕らえられ投獄の身となった。だが、そのローマ
でパウロに出会い、主を信じ救われた。

クリスチャンになったオネシモは、獄中でパウロに仕えて
いた。パウロはオネシモを「獄中で生んだ我が子」と言っ
ている。そして、以前は役に立たない者であったが、今は
「役に立つ者」と。彼は、真に悔い改めたようだ。しかし、
主人ピレモンの奴隷なので、パウロはオネシモを主人ピレ
モンのもとへ帰したいと思っていた。

そこでパウロはへりくだって、ピレモンに、オネシモを赦し
て受け入れてくれるよう執り成している。弁償はすべて自
分がするからと。奴隷であるオネシモは、取り返しのつか
ない罪を犯してしまった。本来なら、逃亡奴隷は死刑だ。
しかし神視点で見ると、全く異なる見方になる。そこに神の
摂理があり「しばらくの間あなたから離されたのは、あな
たが彼を永久に取り戻すため」となる。

何というあわれみで、希望があることだろう。愛なる主の
もとで、人生が全く変わったものとされる。人の失望の時
は、神のご計画の時と言われているが、すべてが主の
御手の中で益と、主の栄光へと導かれて行く。

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ヨセフも、兄達の悪巧みでエジプトに売られたことを、神
が遣わしたと、神視点に立った。一族の命を救うためと。
神視点に立つ時に、全く違って見えてくる。神視点に
立って見せて下さるように祈ろう。