2025年10月11日(土)

「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれ る主。私たちの救いであられる神」詩篇68:19


ある人が、自分では何とも思わず言った言葉が、友人を傷
つけた。友人は、生育歴に様々傷があり、又、少し前にも
深い傷を負っていた。自分も聞いていたのに、何と配慮に
欠けた、自分の愚かさを深く反省した。深い傷はフラッシュ
バックとなり、その時の事がありありとよみがえるという。た
だひたすら祈った。

友人の心がいやされる事と、赦してもらえるようにと。主のあ
われみを切に願い求め、一心に祈り続けていた。この失敗を、
今の状況を、自分自身を、主にゆだねますと、主に明け渡し
た。すると祈り終わった時に、不思議が起きた。あれほど苦し
くて、辛かった心が、すうーと楽になったのだ。自分でも驚いた。
重苦しさがきれいに消えて、心がすっきりした。

初めての経験だった。「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、
あなたのことを心配してくださる」のその通りだった。自分では、
ゆだねる事ができないが、それも、ゆだねさせて下さった。主
のみわざだと思えた。するとその直後に、相手から電話がかか
り、いつも通り、普通に接してくれた。突然、以前の事が鮮明に
思い出された、しかし君のせいじゃないからと。

相手も祈っていた時に、「彼の打ち傷によって、私たちはいや
された」との御言葉により、傷だらけの主が、自分の傷を「わか
っているよ」と言って下さったと。初めて頭でなく、御霊によって
心に響き、心が救われ、いやされたのだと。主のあわれみは
何と深く、言葉に尽くせず、共に主を崇めた。

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重くて、担いきれない荷、そこから思い煩い、心配、焦りでいっ
ぱいになる。しかし心配して下さる、主がおられる。肉で、肉を
対処できない。肉を離れて、祈ろう。主のもとに持って行こう。
主が引き受け、助け導いて下さる。