2009年06月18日(木)

「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから」民数記13:30



ヨシュアとカレブのカナン偵察の箇所を通して学べる。それは、神の約束・神の大いなる祝福は賜物として与えられるが、それを受け取るためには、「信仰」が必要であることだ。神の祝福はまさにプレゼントとして与えられる。

「主の祝福そのものが人を富ませ、人の苦労は何もそれに加えない」の通りだ。プレゼントとして与えられるのであるが、そこに「信仰」が要る。

カナンは、彼らに与えると、神が約束して下さった地だ。それが眼前に広がっている。ヨシュアとカレブは「上って行って占領しよう。必ずできる」と「信仰」に立った。

根拠は神の言葉であり、神が共におられる事だ。
しかし、他の斥候は「城壁は大きく、背の高い巨人がいて自分たちはいなごだ、上って行けない」と尻込みした。

民たちはそちらを信じ従った。エジプトへ帰ろうと言い出した。
結局、不信仰のゆえにカナンに入れず、荒野をさまよう事になった。
強大な城壁のためでなく、巨人がいたためでも、自分たちがいなごのようであったためでもない。「不信仰」のゆえであった。

私たちの前にも、頑強な城壁が、巨人が立ちはだかっているか。
自分は無力ないなごに見えるだろうか。

神と約束の言葉に立つか、状況と見える所と自分の思いに立つか、信仰と不信仰の分かれ目、そしてそれは自分の選択だ。
信仰と御言葉を選択できるよう、助けを祈ろう。
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「必ずそれができるから」と神様が言われても、それを信じ、生きて動かなければ、いつまでたってもただの傍観者だ。思いの中にいろんな声が聞こえて来るが、御言葉の約束を信じ、確かな歩みをして行こう。