2009年09月21日(月)

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:16



御霊に導かれて、御霊の支配の中で生きる時、私たちは自由で、喜びがあり、感謝がある。しかし、律法のもとで、肉に従って生きるなら、信仰生活は、非常に窮屈になる。しんどいばかりで苦しい。

心に自由がなく、心がふさがれて辛い。常に神に要求されているように感じる。神が過酷な方で、蒔かないところから刈り取る厳しい方になってしまう。本当にクルシミチャンだ。そこに喜びが全く無い。今、あなたはどうだろう。

しんどい信仰生活だろうか。辛くしんどいなら、どこかがおかしい。自力で頑張っているかも知れない。人への妬みや憎しみ、怒りが湧き上がる時、これは良くないこと、だめだと、心に押し込み、抑え込んでしまうだろうか。抑え込んだものは、無くなるのでなく、厳然とずっとそこにある。

どんどん抑え込むといつか爆発する。この時に、これは良くない思いと、押し込むのでなく、「私は怒っています、妬んでいます、憎んでいます。誰にも言えないこの思いを、あなたはご存じです」と一つ一つ、主に申し上げて行くことが大切だ。

隠すのでなく、言い訳せず、ごまかさず、無いことにせず、主の御前に言い表して行くことだ。心をきよめて平安にして下さる。絶えず主を呼び、言い表わし、助けを求めて行く時、その否定的な思いが消えて行く。思いが来た時、「主よ」と主を呼び求めよう。
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私達は自由を得るために召された。苦しい、厳しいだけならとても不自由だ。愛せない、出来ないと告げ御霊の助けをいただくことが出来る。肉には出来ない喜び平安を持って信仰生活を歩もう。