2009年10月22日(木)

「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:16



人は自分の非を認めたくない。一人の人の中に、二人の自分がいる。そして、あらがい、戦っている。一人は「人がどうであれ、自分が悪い。罪を犯したのは自分だ。自分の罪だ」と言う。しかし、もう一人は言い訳し、弁解し、あれこれ理屈をつける。

「こんな事、誰だってしている。自分だけじゃない。それをいちいち言ってたら、生きて行けない」自分を正当化し、罪を認めない。異なった二人の自分がいる。罪を認めようとしない自分がいる。しかし、どんな中でも、神に従って行こうとの思いがある時、神は頑なな思いを砕いて、罪を悔い改めるように導いて下さる。

人は本音の部分では、罪がわかっている。しかし、自我があり、素直に認める事ができない。人に注意された時はどうだろう。わかっていても、ムッとなる。人に言われるとプライドが傷つき、反発心が湧き、余計心を固くする。自我だ。しかし、それではいけないという思いもある。

肉が改良されて霊になるのではない。肉は肉、霊は霊だ。「肉によって生まれた者は肉。御霊によって生まれた者は霊」だ。最後まで肉は肉だ。私たちは、この二つの間にあって選択する。肉を選ぶか、御霊を選ぶか、御霊を選ぶなら御霊の実を結ぶ。
選べるよう祈ろう。失敗したら悔い改め、悔い改め、前進しよう。
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二つの人格の葛藤の中で、肉の満足、自分を喜ばす事だけを選択して生きたとして何のクリスチャン人生だろう。主から目を離さず少しでも主に似た者とされるように肉に死に御霊を選んで行きたい。