2001年10月22日(月)

『主よ。お話ください。しもべは聞いております』(Tサムエル3:9)


 長い間、日曜クリスチャンだったという
男性がいた。祈りは緊急用でしかなく、大
変に忙しい仕事に就いていて、僅かな祈る
時間も取れないと思っていた。
祈りは壁に向かう独り言に過ぎないと思っ
ていた。ある時一つの家庭集会に出席し始
めた。その中で少しづつ祈りに慣れて来た
祈りを学び始め、家庭で祈るようになった
だんだん祈りが喜びになって来た。
さらに教会の祈祷会や週末の壮年祈り会に
も参加するようになった。
祈りは時に困難だ。けれど、祈りは必要で
且つ重要だ。
神に必要を求めたリ、願いを献げる事は大
事な事だ。神は「求めよ」と言われている
また、それだけでなく、神に聞く事もわか
るようになった。神の御前に心を静め、た
だ聞こうと心を神に向かって開く。
それによって祈りを真の神との対話とされ
る。心をひたすら静め、沈黙の内に神を待
ち望む時、神のささやきを聞く事ができる。