2010年03月22日(月)

「しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです」Uコリント3:17



寒暖計は正確に温度を示す。暑いと温度は高く、寒いと低くなる。そのままを表示する。それが寒暖計だ。私たちも寒暖計だろうか。つまり、私達はいつも周囲に、ただ「反応」しているだろうか。

相手が穏やかで、優しければ、こちらも穏やかで、優しくなり、相手が冷ややかであれば、こちらも冷たくなり、相手が嫌味で来れば、こちらも嫌味で返す。
きつい言葉が来れば、きつい態度で返す。相手の状態にそのまま反応している。

自分がまるで無い。相手に自分自身を明け渡し、コントロールされている事になる。そうなら、自分が怒るのは、相手が怒るような事をするからであり、相手が悪いという事になる。相手がそんな事をしなければ、自分は怒らないと。

しかし、これなら自分が全く無く、肉と状況に流されたままだ。そして、すべてうまく行かないのは、相手のせい、環境のせいになる。そこに不平不満、愚痴、自己憐憫しかない。信仰とは、相手のせいにせず、環境のせいにせず、神を信じて行く事だ。

どんな中でも自分に頼らず、神に頼り、人や状況、周囲に反応するのでなく、神と御言葉に反応して生きて行く。そして、神により生きて行く時、自分が変えられて行く。変えられた自分は、周囲を変えて行く。自立とは神に依存することだ。いつも何に反応しているだろう。主に向こう。
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人の激しい感情に遭遇するとすぐに反応するのでは、まるで子供と一緒だ。人に反応し人の出方次第でアップダウンするのではなく、主に応答した成熟した大人のクリスチャンとして主のかぐわしい香りを放っていきたい。