2010年04月21日(水)

「私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。・・つのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです」Tサムエル1:16

エルカナには二人の妻がいた。ペニンナには子供がいたが、ハンナにはいなかった。ペニンナは、夫がハンナを愛している事に激しく嫉妬していた。それで、ペニンナはハンナをいじめた。ハンナは、子供がいないという、その急所を突いて攻撃され、ハンナの苦しみ、悲しみ、辛さは尋常でなかった。

痛みと苦しみのため、ハンナは主の御前に出て、心を注ぎ出し、激しく泣きじゃくった。唇が動くだけで、声が聞こえないので、祭司エリは、彼女が酔っていると思った。彼女がことごとく主に打ち明け、気持ちも感情も表わし、泣いて訴えた後、祭司から「安心して行きなさい。願いが叶えられるように」との言葉を受
けた。その時、彼女は変わった。もう以前のようではなかった。

私たちも、辛い、苦しい状況の時は、泣いて訴えるとよい。気持ちも、感情も、何もかも受け止めて下さるお方だ。人に言えば「愚痴」が、神に向けると「祈り」となる。心の悲しみ、苦しみ、不安も恐れも、何もかも訴えて、委ねて行く時、心がすっきりし、平安にされる。主が受け止めて下さるからだ。

ハンナの胎を閉ざされたのは主であり、ご計画があった。当時の堕落した、霊的暗黒時代を導くサムエルを、祈りにより産み出そうとされた。そのためにハンナが用いられた。あなたの今の苦しみにも、深いご計画と御心がある。大きな祝福が産み出される。
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ネガティブな思いを人に語り自分に語り続けても何の解決にもならない。主に心をうち広げ語ろう。主が受け止めて下さり、そこに人のすべての考えにまさる神の平安がある。