2010年05月22日(土) 「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」ヤコブ4:3
「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」ヤコブ4:3
時に、自分にとって、強烈な願いであり、欲しいものがある。しかし、その自分 が喉から手が出るほど欲しいものが、果たして本当に自分に必要なのかどうか。 それを、神に祈り求める事ができるなら「欲望」の誘惑から守られる。解放され る。 欲望は際限がない。欲しいものと必要なものは違う。単に自分の欲しいものを求 めて行くなら、欲望のとりこになってしまう。今、どうしても欲しいものがある なら、それが自分に必要なものかどうかを、神に祈ろう。 そう祈るなら誘惑から守られ、サタンの足場を砕いてしまう。そして、もしそれ があなたに必要なものなら、神は必ず与えて下さる。又、こんな御言葉がある。 「そこで、主は彼らにその願うところを与え、また彼らに病を送ってやせ衰えさ せた」絶対にどうしてもと、どこまでも願うなら、神はその欲望の願いに答えら れるが、それによって、たましいはやせ衰えると。得ても虚しさを味わう。 「彼らは、荒野で激しい欲望にかられ、荒れ地で神を試みた」結果だ。余りの欲 望による願望を向けるなら、神は、ある時、それを敢えて与えられる。しかし、 それを手にして、心は虚しく荒んで行くことになる。 罪の性質である、際限無い欲望から守られるために、今強く求めているものが、 真に自分に必要かどうかを、今一度神に伺おう。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 答えられない祈りがあると、神は言われる。もし動機が間違っているなら、幾ら 祈っても答えられない。「何のために」求めているのだろう。欲望充足のためだ ろうか。祈りが叶わない時は、更に深い神の御心を知る恵みの時だ。心を探って 頂こう。