2010年06月21日(月) 「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」ヨブ1:21
「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」ヨブ1:21
私たちは時に、不測の事態に出会う。突然の倒産、リストラ、病の発覚、事故、 経済的窮状、離別、転居・・。そんな時、驚き慌て、パニックになり、右往左往す る。厳しい状況に飲み込まれてしまい、わけがわからなくなる。 特に、そのような時は、状況ばかりに目を奪われ、状況しか頭に無くなる。神様 が飛んでしまって、状況に軸を置いていることになる。だから、神様が見えない。 大切な事は、軸を神に置いて、視点を神に置いて、焦点を状況でなく神に合わせ ることだ。 つまり、どのような状況の中においても、まず神を認めること。ヨブは突如とし て、子供を失い、家畜、家、しもべたち、財産を失ってしまった。しかし、そこ にヨブは、神の主権を認めた。 神から来たことであり、だから「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべき かな」と告白した。何もかも失った中でも、そこに神を認め、主がされた事と受 け入れ、神を賛美した。 しかし、慰めに友人たちが来た時に、その会話で、ヨブは自分は正しいと、自分 を義とし、自分軸に立った。その後、神ご自身が自らヨブに答えられた。再度、 神に焦点を合わせた時、「自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます」と告 白した。 今、不意の事態が襲っているなら、焦点は、軸はどこにあるだろう。状況だろう か、神だろうか。すべてを益とし最善をして下さる、神に軸を置き直そう。 ・・・・・・・・・・・・・・・ 自分軸、状況軸、軸を自分や状況に置くと、神が全く見えなくなる。今、神が見 えないなら、軸が自分や状況にある。目の前の事態に、状況に、そうされたのは 神と、神を認めて行く時、神が見えて来る。恵みと祝福が見えて来る。