2010年07月22日(木)

「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」ルカ5:4


主が語られたことは、一見、常識から外れていた。なぜなら、漁は夜を徹して行なうものであり、昼間は、魚は捕れるはずがなかった。ペテロの常識からも、今までの経験からも拒否反応が起こるような命令であった。又、ペテロはベテラン漁師であり、漁のプロであった。

心の中で、思っていたかも知れない。「先生は、神の国のことなら、よく知っておいでだが、漁の事なら私の方がよく知っている。先生は漁に関しては素人であり、何がわかろう」。そしてペテロは身体が疲れ果てていた。徹夜の仕事で、身体ももうクタクタだ。家に帰って早く眠りたい。骨折り損のくたびれ儲けなどご
めんだ。

様々な行き交う思いがあったが、ペテロは一つの決断をした。「でも、お言葉通りに」見えるところは様々あるが、「お言葉通りに」「その通りに」漕ぎ出して、網を下ろした。その時に奇跡が起きた。そこにいるはずの無い魚がいた。それも大漁だ。

ペテロは驚いて、聖なる畏れを感じた。そこに神の聖さと御力を見た。神の臨在に触れて、「先生」から「主」に変わった。「主よ、私から離れて下さい。罪深い人間です」と。主のお言葉に、その通りに従う時、神のみわざを見、知識で知っている神を、臨在によって知って行く。

従う時に、まことに主が生ける神であることを知る。今、従うべき一歩が示されているだろうか。
-------------
自分を置いて従う事がないなら、主との絆は細いものだ。困難の時には、すぐに主を見失ってしまう。お言葉の通りに、と従って初めて全能の力をもって自分を愛し、自分を守って下さる主を知り、ペテロのように聖なる畏れを持って「主」と認めて行ける。