2011年02月19日(土) 「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4
「主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる」詩篇37:4
主は「求めよ」と言われている。祈りによって、今まで数え切れない願いが叶え られた事だろう。願いが叶えられると嬉しい。しかし、願いが叶えられなかった 時はどうだろう。 「主が下さるもの」を喜びとしていたなら、願望が叶えられなければ、強い不満 を抱く。願っても与えてくれない主を責めて、心を屈折させる。御言葉は、「主 を」おのれの喜びとせよ、と言っている。「主が与えて下さるもの」「主が下さ る祝福や恵み」ではない。 もし、与え主を求めているなら、願いが叶えられなくても、心平安でおれる。落 胆はない。なぜなら、願った物が与えられたから喜ぶのではなく、与え主である 主を喜ぶことを学んで行くからだ。そして、更に良いご計画があると信じられる。 10人のらい病人の内、9人はらい病が癒された事に大喜びし、その事だけが心を 占めて、癒し主は忘れ去ってしまう。私達も願い事だけが心を占めていて、欲し いばかりで、与え主が眼中にないなら要注意だ。 ある働き人は、宣教の成果が出たら大喜びし、無ければ落胆した。人が救われれ ば喜び、救われなければひどく失望する。その時に、これなら、伝道の成果を喜 びとしていて、主を喜びとしているのではない事に、気づかされた。成果ではな く、主ご自身を喜びとして生きて行く事を教えられた。 主を喜びとする時、状況が、結果がどうであっても、変わる事のない、絶えざる 喜びがある。そして、主を喜びとする時、主に明け渡し、主のお心を求めるので、 願いは叶えられることになる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主を喜びとしているのか、主が与えて下さるものを喜びとしているのか、心探ら れる。主の下さる平安を喜びとしているかも知れない。しかし、主ご自身にしか 真の満足は無い。主ご自身を求め、喜んで行く時、自分に喜びが来て、幸せの中 で生きて行ける。