2011年05月22日(日)

「あなたは私のために嘆きを踊りに変えてくださいました・・私の荒布を解き、喜びを私に着せてくださいました」詩編30:11

ある人が、若くして伝道者に召された。神学校を卒業し、田舎の小さな教会に赴
任した。聖書や神学を学び、頭は知識でいっぱいで、理想に燃え、若い人々がそ
うであるように、希望と自信に満ちていた。

主に喜ばれる教会を建て上げたいと心は燃えて、何でもできると思った。しかし、
へき地の小さな教会の中で、現実と思いは大きく食い違い、悩みと困惑の日々で
あった。対人関係がうまく行かず、空回りした。又、閉鎖的な地で、新来者は皆
無に等しかった。

後で思えば、非常に忍耐を要する働きである事を理解しておらず、結果ばかりを
求め、ますます落ち込んで行った。聖書の知識は溢れるばかりにあるのに、目の
前の人を導く事ができない。悩み、苦しみ、悶々の挙げ句に、とうとう燃え尽き
症候群に陥ってしまった。鬱になりかけていた。

自分がいかに無力であるかを初めて、思い知った。砕かれた。行き詰まり、もう
一歩も進めない状態であった。だが、そのどん底で、真に主に出会った。慈しみ
の主は、責める事も裁く事もされていなかった。深い愛と慈しみに包まれた。

自分を真に支えてくれるものは、自信でも、自分の力、知恵、方法でもなく、ど
んな時にも決して変わる事のない、主の愛である事を初めて知らされた。その主
の愛の御手に、身を任せきった時、かつて経験した事のない深い安堵、大海のよ
うな平安に包まれた。苦しみ、不安、煩い、焦り、不満が、感謝と喜びに変えら
れた。

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信仰人生、様々な主からの取り扱いがあるが、いつも嘆きを踊りに変えて来て下
さった。苦しみ、辛さ、しんどさを通り、砕きは痛いが、肉の、自我の喜びでは
ない、御霊の喜びを経験させて下さった。これからも嘆きを踊りに変えて下さる
主が共におられる。