2011年07月22日(金)

「苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚されたりすることのないように」ヘブル12:15


る人には、どうしても嫌で、赦すことのできない相手がいた。「苦い根」であった。祈るのだが、しかし、どうにも出来ず、悶々としていた。そんな中で、ある時突然、主がその事に触れられ、十字架の主がくっきりはっきり、目の前に示された。主が自分にして下さった事が見せられた。命を捨てて愛して下さった、赦して下さった・・頭の理解でなく、御霊が臨み、心に触れられ、涙が溢れて止まらなかった。悔い改めて、心からこの主に従いたいと思った。

その時、あんなに苦しんだ苦い根が消えた。平安の無かったその所に、平安が満ちた。その相手が、なぜそんなに嫌だったのか、わからないほど、どうも無くなった。私たちの心にも、雑草が根を張るごとく「苦い根」が無いだろうか。根というのは外側には表れない。見えずに隠れている。誰かに対する妬み、憎しみ、敵対心、恨み、怒り・・それらは心の深い所に巣くっていて、何かが起きた時に、芽を出して、心の畑を無惨にズタズタに荒らしてしまう。

人の目には隠せるが、自分にはわかっている。この根を放っておくと、心中深く張り巡らし、傷がどんどん深くなる。引き抜き、除去するのに、大きな痛みが伴う。そのまま主のもとへ行き、告白しよう。主が取り扱いきよめて下さる。恵みから落ちてしまう事のないように、絶えず心を見張っていよう。
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苦い根とは、すぐに関わりを絶ちたい。ざらっとした思いで平安がない時は、そのままにしないですぐに主に告げ、思いの底にある根を見極め、認めて行こう。まっすぐな歩みが妨げられないように。