2011年12月20日(火)

「事実どおりに神のことばとして受け入れてくれたからです。この神のことばは、 信じているあなたがたのうちに働いているのです」Tテサロニケ2:13



ある人が「御言葉を聞いてはいるが、自分には無理、とうてい実行できないと、
御言葉を過ぎ去らせてしまっていたと思う」と。無意識であり、考える事もなか
ったが、やっとそれに気づいたと。御言葉を読む時に、良いお話、ためになる話
程度に思っていて、「神の言葉」として受け取っていない。単に頭で知識として、
情報として聞いているだけだ。

しかし、御言葉を聞く事は嫌ではなく、拒否する気もないし、気づかない。罪と
言われても、誰でもしている事だし、罪人だと思うが、そこそこの罪人で、隣の
人よりはましだと思っている。種蒔きの例えの、固い土地であり、御言葉を流し
てしまっている。

又、御言葉は、今まで生きて来た価値観と正反対だ。例えばこの世では、所持金
が少なくなると支出を控える。だから献金も渋る事になる。しかし、御言葉は真
逆だ。豊かになるためには、もっと献げよと。少し蒔くなら、少し刈り取り、豊
かに蒔くなら豊かに刈り取るからだ。献げるほど豊かになると。

これは世の常識を越えていて、理解できない。この世は自己実現、自己啓発、自
己主張の社会だ。しかし、御言葉は自分に死に、へりくだれと言う。へりくだる
なら高められると。世は得る事が喜びであり、御言葉は捨てる事、与える事、献
げる事がいのちへの道だと言う。聞いた御言葉を、神の言葉として受け取り、信
仰に結びつけ、信じよう。その時、必ず実を結んで行く。神を経験して行く。
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御言葉は神からのものだから生きて私達の内で働かれる。世の価値観の中で、今
日も流されず、また流されても戻って来れるのはいのちの御言葉を心に信じ受け
入れているからだ。宝のような御言葉を心に植え付け、蓄えていこう。