2012年05月22日(火)

「散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」使徒8:4

                        
サウロにとって、キリストを神と仰ぎ、救い主とする、クリスチャンはまさに天敵であった。ステパノの、死をも恐れない厳かな殉教に接し、激しい敵対心、憎しみを更に刺激され、抹殺の意を固くした。しかし、それは後にサウロの救いへとつながったのだ。ステパノの死により、更に迫害は激しさを増し、荒れ狂った。サウロは憎悪に燃えて、教会を次々と荒らし、家々に入って、容赦なく人々を引きずり出し、投獄して行った。

そのため信徒たちは四方へ追いやられ、散らされて行った。皆が、散りじりに、別れ別れになってしまった。では、この苛酷な迫害で、信徒たちは意気消沈して、気力を失い、教会は壊滅して行ったのか。そうではなかった。あちこちにバラバラになり、散らされた信徒たちは、何と「みことばを宣べながら、巡り歩いた」。彼らの心は燃やされていた。

結果的に見れば、この迫害による離散によって、返って福音が大々的に伝えられる事になった。信仰の火が消えるどころか、どんどん燃え上がり、福音は四方八方に拡大されて行った。迫害自体は大きな苦しみだ。私たちも信仰生活の中で、突如の事態が起きる。「どうして!」「なぜこんな苦しみが?」しかし、見えるところは真っ暗で、マイナスの要素しかないが、主には深いご計画がある。主を信じて忍耐し、主を待ち望もう。今の苦しみが、思わぬ展開となり、主の素晴らしいみわざを見ることになる。
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苦しみゆえに信仰はますます増し加えられ、主の助けだけを頼りに歩む喜びに満ちあふれた使徒たちのように、試練の中でも弱り果てず試練を通して神に近づこう。