2012年07月22日(日)

「しかし、御霊によって導かれるなら、あなたがたは律法の下にはいません」 ガラテヤ5:18



御言葉には、様々な戒めがある。「憎むな」「妬むな」「愛しなさい」「赦しな
さい」・・。主に従うために、戒めを守らねばならないと、形だけ守ったとしても、
信仰生活は窮屈になる。

「愛さねばならない」「赦さねばならない」「祈らねばならない」となり、「〜
しなければならない」「〜してはだめ」でがんじがらめになり、苦しく、辛い、
しんどいだけの信仰生活になり、信仰が重荷になってしまう。

オイルの切れた機械のようだ。信仰を持ったばかりに、辛い、疲れる人生になる。
これは御霊によらずに、自分の力で行なっているからだ。ガソリンの無い車を自
分で、押しているようだ。

「御霊によって歩みなさい」とあるように、御霊に導かれて歩むと全く変わる。
「祈らねばならない」でなく「祈りたい」に変わり、「喜ばなくてはならない」
でなく、自然に内から喜びが溢れて来る。

主に受け入れられるために、愛されるために、あの事、この事をするのではなく、
すでに受け入れられているから、愛されているから、こうしたい、ああしたい、
と変わる。この転換は御霊が与えて下さる。歩みがしんどいなら、もっと努力が
必要なのではない。頑張り過ぎて、疲れ果てている。

自分が、自分がと、頑張っていて、御霊を締め出している。自分を明け渡して、
御霊の助けを求めよう。そうすればオイルを差した機械、ガソリン満タンの車の
ように、スムーズに信仰生活が進む。

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「その命令は重荷とはなりません」とあり、自分が守るのでなく、御霊が助けて
下さる。「御霊によって」だ。御霊によるなら「ねばならない」の下にはいない。
そこには喜びがあり、感謝がある。自らの状態をあるがまま告げよう。御霊は導
いて下さる。、