2012年08月22日(水)

「彼は、前にはあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となっています」ピレモン11


オネシモは、ピレモンの奴隷であった。その彼が、主人のもとで盗みを働き、逃亡した。しかし、捕えられ投獄の身となったが、そこでパウロに出会う。パウロは主人ピレモンを知っていた。オネシモは、パウロに導かれ回心し、主イエスを信じた。

当時、逃亡奴隷は死刑であった。パウロは、オネシモが真に悔い改め、新生し、主にあって変えられた事を確認した。それで、ピレモンに手紙を書いて、オネシモを主に在る兄弟として、受け入れてくれるよう頼んだ。オネシモは、以前は役に立たない者であったが、彼の名の通り「有益な者」に変えられた。私たちも同様だ。

目の前で様々な困難が起きて、先が見えず、これが一体何になると、思う。無益であり、マイナスにしか見えない。それが「すべてのことを働かせて益」とされる方により、大いなる祝福と有益な事態へと変えられる。今、目の前は混乱状態だろうか、しかし、必ず豊かな益へと導かれて行く。

パウロは摂理信仰を持って、事態を見た。オネシモは主人を裏切り、逃亡したが、それを信仰のメガネで見る時、オネシモを有益な者として、永久に取り戻すために、一旦離されたのだと。私たちも信仰に立って、すべての事に神を認め、摂理を認める時、物事の見方が変えられる。失望する事態に遭遇した時は、神のご計画を認める時だ。信仰のメガネをかけて、見よう。
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自分を軸にして見るなら、いつでも思い通りの答えしか納得できない。起きる問題や、聞かれない祈りの中にも神様の摂理があり恵みは備えられている。更に良いもののためにとの信仰のメガネで全てを今を見ていこう。