2012年09月21日(金)

「順境の日には喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること。それは後の事を人にわからせないためである」伝道7:14     

   
                          
人生には必ず「順境」があり、そして「逆境」がある。主がそのようにされるのであり、どちらも主が与えられると。しかし、この世では異なる。「逆境」を恐れ、逆境にならないために、信心する。家内安全、商売繁盛、無病息災、安産祈願・・、悪い事が起こらないための宗教だ。信心していて、悪い事が起こるなら、何のための信心かと世の人は言う。信心している意味がないと。どこまでも自分が中心で、自分の利益のための神だ。

しかし、逆境が、神のなさる事であるのなら、必ず良いものだ。そこには主の目的と意図があり、計画がある。主は逆境を通して私たちを練り、きよめ、造り上げて下さる。成長させて下さる。後の日に「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした」と言わせて下さる。何という恵みだろう。「あなたのおきてを学んだ」と。「逆境」が神から来ているのであれば、私たちに恐れはない。

「後の事をわからせないため」と、後の事は、御手の中に伏せておられる。もし、いつ病気になるか、失業するか、いつ死ぬか、予めわかったらどうだろう。自分や家族の死ぬ日がわかっていたら?主は告げられない。いつも、どんな時も、主を見上げ、主に信頼して、平安に歩むためだ。先の事は、主に委ねて生きる時、常に平安の中に守られる。
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どんなに思い煩おうと、私達には明日を知ることは許されていない。逆境の日も順境の日と同じように、神が量って与えて下さったと信じて受けよう。不安は消える。主に信頼し、御霊にはげまされて今の一日を歩もう。