2012年10月22日(月)

「それは、あなたがたが行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ」ヨシュア3:4


モーセの後継者ヨシュアとイスラエルの民は、ヨルダン川の川岸まで来た。約束の地に入るために、これからヨルダン川を渡らねばならない。特にこの時期、水はとうとうと流れ、1年中でも最も水かさも増し、満水状態だ。橋も船も無い。何の手立ても無く、どうすれば良いのか。ヨシュアは主からの言葉を民に伝えた。神の契約の箱が先頭に進み、二千キュピトの距離をおいて、その後ろを進むように。そうすれば、今まで一度も通ったことの無い道であるが、行くべき道はわかると。

つまり、神の言葉に従って行けば、理解を越えた未知の地、全くの未経験の地でも前進して行ける。進む道がわかる。神の言葉の後について行けば良い。そうすればあの不可能に見えるヨルダン川を渡れたように、どんな困難な中も歩んで行ける。又、「祭司たちが、契約の箱をかつぎ、先頭に立って渡るように」と。そしてその通りに従うと「祭司たちの足が水際に浸った時、水は完全にせき止められ、民は渡った」。

大事な事は、水がせき止められたから、祭司たちは足を踏み入れたのではない。とうとうと勢いよく流れる中に、足を踏み入れ、浸した。溺れ死んで不思議はない状況だ。しかし、ヨシュアも祭司達も主を信じた。踏み出した時に水がせき止められ、奇跡が起きた。大事なのは主の言葉だ。何も見えない中で、必ず道があると信じて進む時に、目の前に道が開ける事を経験する。
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生きておられる主の言葉を信じて、実際に一歩踏み出さないと、私達の信仰は力にはならない。今日一日も主は私達のために主の道に進むよう招いておられる。