2013年01月22日(火)

「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます」ヨハネ16:8


ある女性の証しだ。小さい時から、頑張りに頑張って勉強し、親に言われるままに習い事もし、優等生で過ごして来た。周囲からも常に褒められ、自分でも、何ごとにも真面目な良い子、頑張る立派な人間だと思っていた。ある時、友人に教会に誘われ、嫌でなかったので一緒に行った。聖書から「罪」ということを教えられるが、一向にわからなかった。自分は良い子であり、皆にも良い子と言われ、非行になど走った事はない。しかし、友人との交流は楽しく、教会に続けて通っていた。

ある時、放蕩息子の箇所の学びだった。だが、その放蕩息子ではなく、兄息子が、自分の事を言っていて、そのまま自分に重なることに愕然とした。弟を軽蔑し、見下し、それを受け入れる父親に不満爆発。誰にも見せない自分の姿だった。顔ではニコニコ振る舞いながら、実は出来ない子を見下し、軽蔑していた。自分は正しく、立派であり、心の中で、不良たちを裁いていた。心の中は、常に満たされておらず、怒りや不平不満でいっぱいだった。

突然、御霊の強い光によって自分の姿があらわにされた。初めて罪がわかった。心底自分は罪人であった。いつも聞いていた主の十字架が、まさに自分のためであると迫り、心からの悔い改めが与えられた。御霊が働かれ、罪につき、十字架につき、わかるように教えて下さる。
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御霊によらなければ、誰もが生まれたままの人間だ。自分の罪がわかり主の十字架は私のためであったと悟れ、そして祈りへ向かわせて下さるのも、すべて内に生きていて下さる御霊の導きだ。