2013年03月22日(金)

「イエスは、そのことばをそばで聞いて、会堂管理者に言われた『恐れないで、ただ信じていなさい』」マルコ5:36 


      
ヤイロが、主のもとに来て、ひれ伏して、娘のいやしを願った。死にかけている娘のために必死であった。主がヤイロの願いに答えて、出かけられたところに、突然の邪魔が入った。そこに、長血の女性が現われて、主の着物にさわった。すると血の源が枯れて、ひどい痛みが直った。主は平安を与えようと女性に対応された。

ヤイロはどんなに心急いた事だろう。一刻を争う。娘が死んでしまう。早く、早くと、どんなにか心焦ったろう。そんな時に、使いが着いて、「あなたのお嬢さんは亡くなりました」と告げた。ヤイロにとって凍りつくような言葉だ。もう手遅れだ。今や先生に来てもらう必要は無いと。しかし、女性に対応している間も、主はちゃんとヤイロを心にかけておられた。娘の死の知らせが来た時も、間髪を入れず「恐れないで、ただ信じていなさい」と主の言葉を与えられた。「恐れるな」「信ぜよ」と。

私たちも、目の前に、問題が、山のように立ちはだかっているだろうか。どうにもならず、絶体絶命だと思えるだろうか。しかし、すでに死に打ち勝たれた主だ。「娘は死んだ。もう先生を煩わすことはない」主はその言葉を聞き流して、「恐れないで、ただ信じておれ」と言われた。どちらを信じるかが問題だ。目の前の状況だろうか、それとも主ご自身と主の言葉だろうか。
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襲ってくる不安や心配、恐怖に無抵抗で「ただ信じる」ことできない。そんな自分と戦い、見えるところではなく、まだ見えない主の最善を一瞬、一瞬選んで、ただ信じる所に立ちたい。