2013年05月22日(水)

「民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。あなたがたの心を神の御前に注ぎ出せ。神は、われらの避け所である」詩篇62:8


ある人の証しだ。同期で入社し、ずっと良い関係で、共に歩んで来た友人がいた。その友人が一番に昇進した。自分の方が仕事が出来て、むしろ助けていた同僚だった。自分は、営業成績も秀でてトップであり、同期で一番だと信じて疑わなかった。余りのショックで、目の前が真っ暗になった。プライドがひどく傷ついた。心が痛くて、こんな気持ちで、その友人にどんな顔で会えばよいのか、接することもできない。心が悶々状態で、昼休憩に、屋上に上がり、隅で、主と交わりの時を持った。

心の内をさらけ出し、落ち込み、羨望、妬み、失望落胆・・ぐちゃぐちゃな気持ちをことごとく主に告げて行った。心をすべて打ち明けていると、自分自身のプライド、高慢が見せられた。仕事の成果もすべて自分に栄光を帰していた事、自分を誇り、高ぶっていた事、優越感で、同僚を見下していた事、主の御前にことごとく悔い改めた。その時、悶々であった心に平安が来た。

「自分はどうしましょうか」と祈ると「喜ぶ者といっしょに喜び」の御言葉が来て、その同僚を祝福することができた。自分の心も平安と喜びで満ちた。優越感の喜びでなく、真の御霊の喜びだった。自分にとって極めて辛い状況が益とされて、砕かれて、御霊の喜びを経験する時とされた。主が自分の避け所だと知れた。どんな時も、主のもとに行き、主に向き合おう。必ず導いて下さる。
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自分で悶々としていては前に進めない。すぐに避け所である主に告げよう。主との霊の交わりの中で、聞いてもらえたとの平安がくる。示しや導きのお答えを知れると、主にあってまた心低くされる。