2013年07月22日(月)

「悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、言った。『あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい・・」』マタイ4:6



「石がパンになるように命じよ」との最初の誘惑で、主は自分の思いと力ではなく、「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と神の言葉によって立ち向かわれた。すると、次はサタンもそれに乗って攻めて来た。「では、神殿の頂から下に身を投げても、神が御使いを遣わし支えると書いてあるではないか」と。御言葉を自分に都合良く勝手に解釈する誘惑だ。これに対しても、主は、同じく御言葉を用い「神を試みてはならない」と退けられた。

詩篇91:11、12と比較すると「すべての道で」が抜けている。
神の御旨に従い御心の中にいるなら守られるとの意味だ。自分勝手な、わがままな事をして守られる保障はない。サタンは、私達を誘惑して、御言葉を都合の良いように解釈させようとする。つまり、御言葉を使って、自分の思いや願望を正当化させようとするのだ。それが御言葉なので全く気づかない。実は神の御心でなく、自分の思いだ。

サタンの罠がある。よく気をつけなければ、自分の思いが強いと、自分の思いがフィルターとなり、御言葉を読み込んでしまう。神の御声と勘違いする。ここにも悪魔が働いて来る事をわきまえ、自分の思いを神に明け渡す事が大切だ。どうであれ、御心に従いますの態度に立つ時、正しく導かれる。サタンに足場を与えない。
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御言葉だけがサタンに打ち勝つ武器だ。正しい御言葉で上書きしなければ、いくらでも紛らわしいサタンの声を聞いて行く。こうした方が良いに決まってるとの思いも、今一度、御言葉の前で吟味してみよう。