2013年08月22日(木) 「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」U歴代16:9
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです」U歴代16:9
ダビデは、主から、主の心にかなう者、主と一つなる者と言われていた。しかし、そのダビデは完璧だっただろうか。そうではない。彼は罪を犯した。バテシバとの姦淫、更にその隠ぺいのため、バテシバの夫であるウリヤ殺害という大罪を犯していた。それがどのように、主と一つだったのか。ダビデの素晴らしいところは、自らの罪を示される度に、主の前に、罪を認めて、悔い改めた事だった。 それゆえに、主と一つであるという事は、完璧に主の御心に従い、決して罪を犯さないという事ではない。そんな事を出来る者は誰もいない。人間の弱さゆえに、主の御心を痛め、罪を犯してしまう事がある。しかし、御霊はその罪を指し示され、悔い改めに導かれる。その時に、心を頑なにせず、無視せず、拒否せず、逃げずに、神と、自分に正面から向き合うことだ。そして、罪を認め、悔い改める事だ。悔い、くずおれる者に、完全な赦しがすでに備えられている。 そして、それこそが、主と一つである事だと言われる。心砕かれて、悔い改めて、悔い改めて、歩もう。そしていつも、主の御声と、サタンの声、肉の声がある。サタンと肉の声を拒み、捨て、主の御声を選択して、従う時、主と一つだと言われる。御声に耳を傾け、聞くだけでなく、従おう。その人に、主の御力をあらわして下さる。 ------------ 肉の声、サタンの声に引かれてくり返し失敗する。そして主に頼らなければすぐに躓く者であることを学ばされる。主の御声のみを頼り、主と一つにされている者の幸いをもっともっと経験したい。