2014年04月21日(月)

「風が向かい風なので、波に悩まされていた。すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて彼らのところに行かれた」マタイ14:24


主は、弟子たちを強制的に舟に乗せて、先に向こう岸へ行かせられた。しかし、弟子たちは湖で嵐に会う。それは、ベテラン漁師が、身の危険を感じるほどの大嵐であった。死ぬかもしれない恐怖、困難、苦しみの中でもがいていた弟子たちのもとに、主が近づかれた。

弟子たちは驚き、恐ろしくて幽霊と間違い、怯えるが、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と。「わたしである」「わたしがいる」と。だから「恐れるな」と。この嵐のまっただ中に、「わたしがいる」と言われる。この事がわかれば、問題は解決する。

だが、どうだろう。逆に私たちは、嵐の中でパニックになり、主が吹っ飛んでしまう。又、問題が大き過ぎて、あるいは苦しみや悲しみが大き過ぎて、主が見えなくなってしまう。主ではなく、目の前に立ちはだかった問題ばかりを見てしまう。巨大に見える。対人関係で、敵対して来る人で心が占領されてしまい、主が見えない。しかし、主はここにおられ、「わたしだ」と、目の前のその問題の、悩みの、まっただ中に、おられる。

今、悩み、問題のために、主を見失っているだろうか。問題に飲み込まれ、思い煩いと不安、恐れの中にいるだろうか。問題を見ている目を、「わたしだ」と、目の前におられる主に転じよう。その問題、悩みの中に、主に来ていただく時に、「ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ」。風が止む。パニックの心に平安が臨む。
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風との戦いではなく主の言葉を信じようとする戦いだ。風に惑わさそうな自分に気づき、すでに同船されている主に自分自身が近づいて行こう。信仰の訓練は臨むが、惑わされる時を短くしたい。