2014年08月22日(金) 「私の時は、御手の中にあります」詩篇31:15
「私の時は、御手の中にあります」詩篇31:15
祈っても祈っても答えられない経験があるだろうか。真剣に熱心に 祈っているのに、答えが来ない。それは、祈りの答えには、「神の 時」があるということだ。「天の下では、何事にも定まった時期が り、すべての営みには時がある」「神のなさることは、時にかなっ て美しい」。 神が目的をもって、時を遅らせておられる。御心に適っていないの でなく、御心であるが、神が最善の時を定めておられる。私たちが 思う「時」と、神の「時」とは、時々ずれがある。神のタイミング は、神の栄光が最高に現される時なのだ。私たちは、しばしば「今 こそ」その時、と思うが、神のみ思いは更に高く、深い。 ラザロが死に直面していた時、マルタとマリヤはどんなに主を待っ た事だろう。主なら病気を癒す事ができる。一刻も早くと、今か、 今かと。しかし、主は断固動かれなかった。尚2日もとどまられた。 ラザロの死を確認して動かれた。主の御心は病気を治す事ではなく、 よみがえらせる事であった。 墓に葬られた上、もう腐敗しているという、ダメ押しのもとで、主 は奇跡をされ、ラザロをよみがえらされた。最も栄光が現される 「時」であった。あなたも、御心を確信して祈っているなら、「時」 がある。すでに聞かれていると信じ、神の時を待ち望もう。 ---------- 時を神にお任せすることが最も難しい。いつなのか、まだなのかと 待てず動きだしてしまう。私の時は御手の中と、御心の時に神様が 働かれますように、またその時を悟れるよう祈っていたい。