2014年09月21日(日)

「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の陰に宿る・・『わが避け 所、わがとりで、私の信頼するわが神』と」詩篇91:1 


信仰人生、決して平坦ではない。すべての人に必ず順境があり、
逆境がある。人生の中に、どちらも備えられている。一生何もかも
が順調に行くことはない。それは無い。突如、「どうしてこんな事
が!」という事態が、起こる。主が与えられる試練があり、又、自
らの失敗もある。しかし、どんなに苦しみと辛さの中にも、主がお
られる。

「主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の
下に身を避ける」主は、「わたしを信じていなさい」と御翼でおお
って下さる。この方の翼の下に身を避けることが、一番安全で、平
安の道だ。親鳥の翼の下で、安心しきって、気持良く眠っているひ
な鳥の絵を見ることがある。親鳥に抱かれて、心底安堵して、何の
心配もなく眠っている。

危険が迫れば、親鳥は命がけで守ってくれる。ひな鳥にとり、恐れ
も思い煩いも無縁の場だ。私たちも同様だ。試練の中、苦しみの時、
悲しみの時、主は御翼の陰に私たちをかくまって下さる。現に厳し
い状況にかかわらず、御翼の陰は平安なのだ。

ある婦人は離婚の苦しみを通り、気が狂いそうな辛さの中、初めて
御翼の陰がいかなるものかを経験したと。外は大嵐が荒れ狂ってい
るが、御翼の陰には、全き平安、世のものではない主の平安に包ま
れ、安堵、安心だけがあった。この状況だからこそ体験できた恵み
だった。
苦しみの時、悲しみの時、主を呼び求めよう。

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信仰生活で経験する。問題、悩みの辛さや、苦しい状況があるのだ
が、主に委ね、交わる時に、心に「主の平安」が来る。問題のまっ
ただ中で、心は安堵で平安、「隠れ場」があることを体験する。