2014年12月21日(日) 「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだか ら、私を救い出してくれるのでしょうか」ローマ7:24
「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだか ら、私を救い出してくれるのでしょうか」ローマ7:24
ある女性が結婚したが、共に生活してみると、自分が思っていた夫 とは全く違う事がわかった。価値観がこんなにも違ったのかのかと 驚き、好みの違い、習慣の違い、様々な事でギクシャクした。この 結婚は間違っていたのだろうか。悶々状態の中にいたが、夫は仕事 がハードで、忙しく、語り合う時間も無かった。 イライラが募り、不満で一杯になり、相手を責めてしまう。しかし、 自分の非は認めたくない。そんな強い自我に苦しみ、又、そんな自 分に自己嫌悪にも陥る。平安がなく、主の御前に赦しを求めるが、 すぐに相手を責め立てる思いが噴き出す。苦しみの日々を経て、疲 れ果ててしまい、もうこれ以上やって行けない状態になった。 どうしても夫にぶつけ、夫を責めてしまい、喧嘩が絶えない。もう 限界を感じ、結婚を続けられないと、思いつめた。「主よ、助けて 下さい。自分自身を、もうどうにもできません。この結婚を明け渡 します」とギブアップした。その時初めて、理解していると思って いた主の十字架が、真に自分の事として迫った。 罪しか犯す事ができない自分だからこそ、十字架がある事がわかり、 心底からの悔い改めが与えられ、今まで味わった事のない平安と喜 びに満たされた。祈りながらも、ずっと自分で、自分の力で、何と かしようとして、もがいていた事に気づかされた。どん底こそが、 実は最大の恵みの場所だった。 ・・・・・・・・・・・・・ 自分の力で、自分が動いている時は、神の力はわからない。律法の 中だ。自分の力でどうにもできず、何の手だても無くなった時が、 恵みの時だ。委ねる時に主の力が働き、主のみわざを見て行く。恵 みの中で、心は軽く、荷も軽い。