2015年02月19日(木) 「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自身の栄光を現わされた。それで弟子たちはイエスを信じた」ヨハネ2:11
「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自身の栄光を現わされた。それで弟子たちはイエスを信じた」ヨハネ2:11
カナの結婚式で、ぶどう酒がきれてしまった。当時の結婚式におけ る、ぶどう酒とは非常に重要な大切なもので、途中で無くなるなど と、主催者側の大失態だ。せっかくの喜びの結婚式が台無しになっ てしまう。非常事態であり、そこにいたマリヤは、主イエスにあり のまま、率直に「ぶどう酒がありません」と求めた。 ここで学ぶ事ができるのは、まず第一に主に祈るということだ。無 いものは無いと、「ありません」と認めて、主に求めれば良い。 「自分に無い」と認めるところから、解決が始まる。「愛がありま せん」「力がありません」、無力を認める事は痛いが、しかし祝福 への第一歩だ。 マリヤは、事態の解決を主に求めた。すると、主は「あなたはわた しと何の関係があるのか」と一見冷ややかに見える応答だった。だ がマリヤは、肉親として我が息子に頼むのではなく、信仰者として、 主として求める必要があった。主は御父の御心に歩まれるからだ。 マリヤはへりくだり、イエスを主として、必ず最善をして下さると 信じた。 だから、「わたしの時はまだ来ていません」と言われたにかかわら ず、手伝いの者に「あの方の言われることを、何でもしてあげて下 さい」と言った。みわざをして下さると信じたからだ。そして主は 祈りに答えられた。危急の時には、まず祈ろう。そして御声を聞い て、示された事を行おう。その時に、主の栄光を拝することができ る。 ----------- まず祈るが、頭の隅に自分で動けるところはないかと策を考えてい る。そのような不信仰な者が「ありません」と認め、主に頼り切 ろうと腰をすえることで次の「御声を聞く」ことに繋がっていく。