2015年05月22日(金) 「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエルをエジプトから救い出せ」出エジプト3:10
「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民イスラエルをエジプトから救い出せ」出エジプト3:10
荒野で羊飼いをしていたモーセが、突然主から召し出される。イス ラエルの民をエジプトから救い出すための、リーダーとして立てた というのだ。「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう 」と。突如の大きな難題に向かう時、誰でも、とてつもなく不安で、 大きな恐れを抱く。 モーセは「私はいったい何者なのでしょう。民をエジプトから連れ 出さなければならないとは」と応答する。何で、この羊飼いの自分 が、そんなとんでも無い事をしなければならないのか。モーセは80 歳であり、又、以前40歳の王子であった時に、民を救出しようとし て失敗している。この老人に今さら何を?今の自分には何の能力も 無い。 地位も栄華も人脈も何もない。だが、主は、尻込みするモーセに 「わたしはあなたとともにいる。これがあなたのためのしるしであ る」と約束され、たたみ込むように説得して行かれる。「わたしが あなたと共にいること」が「しるし」だと。「しるし」とは、証拠 であり、保証だ。これ以上の保証は無い。 これが事実であり、現実であるとは、何と力強い事だろう。私たち のクリスチャン人生も同様だ。「わたしがあなたを遣わすのだ」の 通り、あなたがするのではなく、「わたし」があなたを遣わすのだ と。主が、私たちはをそれぞれの場に遣わされている。たまたまそ こにいるのでなく、今の場は、神から遣わされて、そこにいる。 ------------ 新しい一日が与えられ、今日も新しい場面に向き合わされる。そこ が神から置かれた、神が共にいるベストポジションだ。今、行けと いわれる場所で、神の栄光を拝していこう。