2015年06月21日(日)

「私は心に悩みのある女でございます・・私は主の前に、私の心を注 ぎ出していたのです」Tサムエル1:15         


ある人が、ふとした言葉が友人を深く傷つけてしまった。勿論、全
く悪気など無く、友人の生い立ちから来る心の傷のゆえの事だった。
しかし、友人は傷ついていて、自分はそれを主の御前にもって行き、
ただひたすら祈った。祈ることがすべてだった。友人の心が癒され
るように、赦して貰えて和解できるように。

心の事は、人間にどうこうできることでなく、切に祈り続けた。主
のあわれみを、願い続けていた時、「神に願ったその事は、すでに
かなえられたと知るのです」と、祈りが聞かれた確信が来た。まだ
目には見ていないが、心が平安になった。それで主に押し出され、
勇気を出して相手に会いに行った。心から謝った時に、快く赦して
もらえ、和解が与えられた。主に感謝した。

祈っていた間に、主は相手にも働いておられた。主は祈りに答えて
下さる。私たちはどんな時にも、どんな窮地でも祈ることができる。
ハンナも切に主の御前で祈った。子供が欲しくて、主の祝福が欲し
くて、うめき、苦しい思い、感情も吐き出し、心を注ぎ出して祈っ
た。心の嘆き、悲しみ、怒り、絶望、何もかもを主に打ち明け、悔
い改め、自分自身を委ねて行った。

「安心して行きなさい・・」とのエリの言葉を聞き「ハンナの顔はも
はや以前のようではなかった」。平安を得た。そしてサムエルが与
えられた。苦しい気持ちを主のもとへ持って行こう。主は受け取っ
て導いて下さる。

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祈りが与えられている事は、何という恵みだろう。出来ないから祈
れる、途方に暮れるから祈れる、一つ一つの願いを持って行ける。
心の内の苦しみ、悲しみ、辛さをを吐露して行く時、不思議に心
が平安にされることを経験する。目の前の問題を祈りに持って行こ
う。