2015年07月22日(水) 「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した」使徒27:11
「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほうを信用した」使徒27:11
パウロのローマへの護送途上、船はクレテの良い港に着いた。その 時、人々は、この港より更に良いピニクスまで進み、そこで冬を越 そうと言った。だが、パウロは祈りの中で主からの示しがあり、こ の航海は危険で、命にまで危害が及ぶと強く反対した。 「しかし百人隊長は、パウロのことばよりも、航海士や船長のほう を信用した」の通り、人々はパウロの言葉を信じず、百人隊長も、 パウロの言う事よりベテランの航海士や船長の方を信用した。 それで、その言葉に従い出帆した。すると案の定、パウロの言う通 りに、大変な暴風に会った。 私たちも、常に二つの声が聞こえて来る。二つの思いがふつふつと 湧き上がる。一つは神の御声であり、もう一つは自分の経験や自分 の思い、判断から聞こえて来る肉の声だ。それは世の価値観により、 見えるところから判断する声だ。背後にサタンが働いている。どち らの声を選択するかにかかっている。彼らは暴風に会い、流される まま、なすすべなく積荷や船具を捨て、助かる最後の望みも絶たれ ようとしていた。 その時、人々は初めてパウロの言葉に思いが至った。パウロは「す べて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じている」 と人々を励まし、結局、紆余曲折の末、彼らは全員パウロの言葉の 通りに助かった。命拾いした。今、あなたも判断に迫られているだ ろうか。もし自分の思いに傾いているなら、聞くべきは神の御声だ。 ---------------- 解決を急ぐあまり神の声を待たず、わずかな経験を優先してしまう。 その結果、神が与えてくださる解決も、平安も手にする事ができな い。御声を聞き、信仰による勝利へ進みたい。