2015年10月22日(木)

「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです・・イエスは彼らの不信仰に驚かれた」マルコ6:4



主は、生まれ故郷のナザレに行かれた。安息日に会堂に入り、イザ
ヤ書の言葉を読まれた。「捕らわれ人には赦免を、盲人には目を開
かれ事を、虐げられている人を自由にし・・」素晴らしいみわざだ。
そして「今日、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり
実現した」と。何千年も前からの預言が、今日実現し、メシアが今、
ここにいると。聞いた人々は、主の口から出る恵みの言葉に驚き、
感動し、主を誉め讃えた。

しかし同時に「この人は大工ではないか」「この人は、ヨセフの子
ではないか」との不信仰の言葉は、水を差すように、人々の心から
恵みを奪い去った。主を拒むので、恵みが消えて、冷ややかな不信
仰となった。預言者は誰でも自分の郷里では歓迎されないと、主は、
その不信仰を嘆かれた。このナザレの人々から学ぶ事ができる。
御言葉を聞く心の態度だ。

「愛している」「赦す」「すべての必要を満たす」・・自分に心地
よい、耳ざわりのよい言葉には、主は素晴らしいと喜び、主を誉め
讃える。しかし、罪を指摘されたり、悔い改めを迫られたり、自我
に触れて来る途端、拒んでしまう。このところで心を閉じ、逃げて
しまうと、主が見えなくなる。成長のしようがなく、変えられるこ
とがない。痛い言葉は気づかずに逃げているかも知れない。心の底
を御霊に探って頂こう。不信仰に気づかされ、信仰へと、喜びと成
長へと導かれる。
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一段階、成長へと導かれるはずの御言葉が、迫れば迫るほど、古い
自分は変わりたくないと抵抗する。痛くも無いがそれでは、何も変
わらない。いつまでも御心に変わって行きたいと主に献げよう。