2016年01月22日(金)

「『だれも雇ってくれないからです』彼は言った。『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』」マタイ20:7



ぶどう園の収穫のため、労務者が早朝、9、12、3、5時と順次雇
われた。早朝の者だけ1日1デナリの契約がなされ、9時以降の者
は「相当のもの」と。そして労働終了時に、早朝でなく、5時の者
から順に、1デナリが支払われた。当時の1日分の給料だ。5時の
者たちはもう驚いたろう。5時など、もう片づけに入る時刻だ。

ほんの僅かの労働で、丸々1日分貰えた。何で?と。しかし早朝の
者は怒りがおさまらない。憤慨して、主人に文句をつけた。「1日
中労苦と暑さを辛抱した」と。それが同賃金とは不公平だと。主人
が早朝の者から支払えば何の問題も無かった。順次貰って去り、後
の者の事はわからない。しかしわざと、あえて最後の者から支払っ
た。何が言いたかったのか。

「天の御国」とあり、この地上の、世の価値観は成果主義だが、神
の価値観は異なる。早朝の者には、報酬の確約があった。1日働け
ば報酬がある安心感。5時の者はどうだろう。怠けていたのではな
く、働きたいが雇って貰えない。身体が弱かったのかも知れない。
夕刻迫るが糧は無い。家族の落胆を思い、不安、煩いで一杯だった
ろう。

そこに「あなたがたも、ぶどう園に行きなさい」どんなに嬉しかっ
た事だろう。そして1日分の給料だ。何という驚き。有り得ない破
格の報酬だ。「最後の者にも同じだけ上げたい」「気前がいい」、
天の御国は、恵みとあわれみが支配する世界だ。労働を提供して与
えられるのが給料だ。労働が無いのに給料が与えられる、それが恵
みだ。私たちはこの量り知れない恵みの中に入れられている。
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何の働きもない者に、御神はご愛とあわれみを注ごうと招いてくだ
さった。ただただ感謝するばかりだ。今日も十分に与えられている
恵みをしっかり受け取れますように。