2016年07月22日(金)

「寄るべのない者の叫びに耳を閉じる者は、自分が呼ぶときに答えられない」箴言21:13



困っている人に必要が生じた時、又、助けを求めて来た時にどう
だろう。良きサマリヤ人の箇所の、祭司やレビ人のように、関わる
のが面倒で、関わりたくないと、逃げてしまうだろうか。時間を取
られるのが嫌で、又、仕事が増えるが面倒で、経済的な犠牲も払い
たくない。「耳を閉じる者は」とある。人は、自分が聞きたい事柄
だけを選び取って、聞いていると言われている。

聞きたくない事は、耳をふさぐ。だから聞こえない。そして、聞か
なかった事にすれば、自分を正当化できて、悩まずに済むし、責任
も感じなくて済む。だが、御言葉によると、困っている人の必要を
無視すると、自分が呼ぶ時に答えられないとある。自分の祈りが聞
かれなくなってしまう。

「ことばと口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛
そう」「自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ること
ができ」「求めるものは何でも神からいただける」。行いと真実を
もって愛する時、自らの祈りが聞かれて行くと。そして、主との間
に妨げがないので、御霊の喜びと平安に満たされる。この平安は何
ものにも代えられない。

神は、私たちが、すべての事に満ち足りて、すべての良いわざに溢
れる者とするために、あらゆる恵みを溢れるばかりに与えて下さる。
従うなら、大きな喜びの祝福を刈り取る。まず、困っている人に心
が向かないなら、ありのままを認めて「したくありません」と祈ろ
う。主はその私たちを愛して下さっていて、その祈りに働かれる。
自分自身が主を知る恵みの時とされる。
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具体的に今出来ることは無いだろうか。遠くに行かなくても身近に
聞こえてくる声があるかもしれない。主が溢れるばかりに恵んでく
ださっている恵みを自分だけで止めていないだろうか。