2016年10月22日(土)

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もな い喜びと思いなさい」ヤコブ1:2


「信仰がためされると忍耐が生じる」とあり、信仰の試し=試練 
の時にこそ、忍耐が培われる。忍耐とは、神は、必ず良くして下さ
ると信じることだ。それは順境の時には、意味をなさず、逆境の中
で、培われるものだ。その、神は必ず良くして下さるという忍耐を
働かせて行く時に、成長すると言っている。

「そうすれば、あなたがたは・・成長を遂げた、完全な者となる」。
試練における祝福とは、必ずしも状況が変化することではない。環
境が変わり、苦しい状況が無くなることではない。神の御心なら、
苦しい環境を取り除かれる事もあるが、そうならないこともある。
祝福とは、私たちが成長を遂げていくことだ。

試練の中で、神を信頼じ、神を待ち望むことにより、神は私たちを
練られ、鍛えられ、きよめられる。だから、忍耐が、練られた品性
を生み出すことになる。試練の時には、どうしても、この苦しみを
取り去って欲しいと思う。すぐに解決して欲しい、この状況を変え
て欲しいと。

しかし、ただいたずらに嘆くのでなく、逃げてしまうのでなく、押
しつぶされるがままでなく、受け止めて行けるように祈ろう。苦し
みが無くなることではなく、私たちが成長する事が、祝福なのだか
ら。試練を通して、間に合う器に造り変えて行って下さる。だから
こそ、試練をこの上もない喜びと思いなさいと。

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平穏無事がこの世の幸せだ。家内安全、交通安全、商売繁盛・・、肉
は平穏無事を求め、ひたすら問題悩みの無いことを願う。しかし試
練の中でこそ、主を知り、主の真実、ご愛、あわれみを知れる。砕
かれて、この世の喜びではない、御霊の真の喜びを知って行ける。