2016年12月22日(木)

「私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」Uコリント2:10


ある人が、学生時代に友人たちと争いになり、中傷され、悪口を言
いふらされ、非常に悔しい思いをした。攻撃して来た子たちをずっ
と憎んで、恨んでいた。卒業後、彼らとは別々の道へ。それから自
分は人一倍努力して、頑張って〃生きて来たが、その動機といえば、
彼らを見返してやりたい一心だった。執念深く恨んでいた。

何かにつけて努力したが、そこに喜びは無かった。その対人関係が
目に見える形で無くなったとしても、会わなかったとしても、恨み
が残るなら、どんなに物理的に距離が離れていても、ずっと囚われ
の身だ。自分の人生が恨む相手にコントロールされてしまっている。
いつも思いに上り、心に影を落とす。

やがて教会に行くようになり、御言葉を学んで行く中で、確かに相
手は悪いが、しかし自分にも非があったと初めて気づかされた。そ
して今までの頑張りの動機が間違っていたこと、自分が相手を恨む
ことは、自分の問題であると知った。自分の憎しみや恨みが、自分
自身を苦しめていることも知らされた。絶対に何があっても赦した
くない自我だった。

光に照らされるように、自分の姿が見せられた。解放されたいと思
った。自分が相手を赦すことが解放だった。悔い改めて、赦します
と、意志を主に向けた。人を赦せない思いは、サタンのわなであり、
策略だと言っている。がんじがらめにされてしまう。主に助けを求
めて祈って行こう。
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サタンの策略を知らない訳ではないのに欺かれる。御霊に照らされ
示された罪は主に告げ、いつも主との正しい関係にいよう。主によ
らなければサタンに誘惑されている自分に気付けない。主に頼ろう。