2017年03月22日(水)

「イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから」士師記7:2 


当時、イスラエルは絶えず侵略受け、苦しい状況にあった。神はギ
デオンを立て、民を率いて、諸国と戦わせようとされた。呼びかけ
に32,000人が集まった。だが、相手は135,000人の大軍で、圧倒的
不利で、勝ち目はない。その時、神は極めて不思議な事をされた。
ギデオンに、兵士の数が多過ぎるので、減らすよう命じ、最後には
たった300人が残された。

そしてその300人で戦うと、ギデオンが大勝利した。この時、神は
兵士を減らす理由として「大人数だと自分の手で救ったと、自分を
誇るから」と言われた。この戦いの勝利が人間でなく、神の力によ
るものと明確にするように、あえて兵士の数を減らされた。私たち
は、自分がもっと強ければ、能力があればと思うだろうか。

しかしもし強ければ、神の働きを自分が奪い、自分を誇り、自分の
栄光にしてしまう。信仰的体験さえも、肉は誇る。パウロは、素晴
らしい啓示を受けた。第三の天にまで引き上げられるという、特別
のものだった。パウロも、自分を誇る弱さがあり、そのため余りに
も大きな特別な恵みに、高ぶる事がないように、とげが与えられた
と言っている。

苦しく辛いとげであったが、それによって高ぶりの罪から守られた。
高ぶりからの守りは、何と感謝な事だろう。そして更に素晴らしい
啓示を受けた。「わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」と。こ
の世では誇れるのは強さだが、私たちは弱さを誇れるとは何という
恵みだろう。弱さの中にこそ、神の力が完全に現れる。
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戦う力の源が神によらなければ、燃えるような戦意があっても真の
勝利とは言えない。圧倒的な数や力の前に今恐れがあるなら、この
弱さの器の中に、大いなる御神の力だけを頼り求めていこう。