2017年05月22日(月)

「神よ・・私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」詩篇139:24



ある人が、職場の上司の事で悩んでいた。いつも大声で怒鳴り、ワ
ンマンで、日々、仕事量は多く、残業は当然だった。深夜帰宅の早
朝出勤、余りのストレスに、倒れそうだった。上司に過重勤務を訴
えると、逆ギレされ、無視されるようになった。ストレスは更に高
じて怒りとなり、不満が爆発、心がどうにもおさまらない。

祈れなくなり、御言葉も全く入らず、平安のない日々が続いた。心
は重苦しく、もうどうにもならず、思わず助けを求めて、主に叫ん
でいた。心の底からの叫びであった。御前で心の内を打ち明け、祈
っていると、「他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めて
います」と、御言葉が臨んで来た。

自分は問題なく、自分は正しく、悪いのは上司、性格の悪い上司の
問題としか見えなかった。非があるのは、一方的に上司で、自分は
正しいのだから、自分の罪など見えない。どこまでも被害者だ。し
かし御霊によって、心の内を照らされた。ずっと上司をさばいてい
た自分。だが、どこまでも自分を正当化しているので、自分に罪な
どあり得ない。

その罪を認め、悔い改めたその時、心に平安が来た。心に鉛があり、
ずっと重苦しかったその心が平安にされ、その平安は何ものにも代
えられない喜びだった。心底の安堵だった。嬉しかった。自分の心
に潜むものを、御霊は探り、平安へと導いて下さる。
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自分が被害者なのに平安が全く無い、怒りや悲しみ、それしか見え
なくなってしまう経験は誰にでもあるだろう。自分を越え、全てを
正しく導かれる主に、この謙遜な祈りをささげよう。